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おばあさんの魚(3)

 どんどん六月になった。 これは広州が一番暑い時だ。青い空も、日光が照らすため白くなると感じた。塾から帰った後、いつも父の車に乗って、おじいさんのところお見舞いに行った。おじさんたはひとまず置いておじいさんを世話した。自分の子供に囲まれて、おじいさんはそんなに寂しくないと思います。でも、おじいさん時々「実家に戻りたい」と言った。たぶんおじいさんあの時、海の上にある青い空を思い出した。 おじいさんと子供は七人にいて、一番上の子に除いてみんな故郷から出て、都市で暮らしていた。一番遠いのは、台湾で暮らしていた。でも、故郷のアクセントが変わらなかった。父がわかいころ、大学をやめて家の近くに仕事をしたかったんですが、おじいさんがこれを許さなかった。故郷は貧乏なところです。おじいさんとおばあさんが目指したことは、自分の子供たちにそんな貧乏なところに離れて、大都市に幸せに暮らしていることです。現在、この夢が叶うですが、おじいさんとおばあさんも寂しくなりました。 それは私の家族だけの問題でなく、中国の家族に存在する問題です。今の中国は、都市が速く発展しながら、 農村がどんどん衰えていく。田舎に暮らして、両親の傍にいるか、都市に豊かな生活を暮らして、両親に離れているか、その中に一つしか選ばなければならない。

おばあさんの魚(2)

「愛の反対は憎しみでは なく、 無関心 だ」 実家に帰る途中、私は窓の外へ向かっていた。もっともっと海に近づいた。空には曇りが一つでもなく、真夏の午後らしく静かだった。蝉の声さえ聞こえなくて、この世界は日光を満たすような感じ。「暑いね。。。」頭がこれしか思い出せない。 ぼんやりしながら一年前の記憶が浮かんでいた。「おじいさんのことをちゃんと付き添ってね! 」一年前の私にこれを言いたい。 一年前の私はまた中学生。高校受験のため必死に勉強していた私は、勉強以外の事に関心がなかった。でも、気付かないまま、父と母はいつもなにかを悩んでいる様子で、おじさんたちと電話をした。おかしいと思ったけど、「受験の方が大切」と思って、いったい何があったのかについて一度も聞かなかった。 英語の口頭試験の日、空が暗くて、雨が降っていた。なぜかわからないですが、心がちょっと重くて変な感じがした。試験が終わった後、私は学校に出た時、ゲイトに待っている両親を見た。 「おじいさんに見舞いに行こうか?隣の病院に」 私の中学校の隣で病院があった。母が勤めていた病院です。 小学時代の時、休みの日になったら母はいつも私を病院に連れてに行った。母は仕事をして、私は母のオフィスで宿題をした。すぐにつまらなくなった私は、母に知らせずに病院の入り口に行って、出たり入ったりする人間をじっと見ていた。目の前の人はもしかすると大切な家族が病気でなくなったばかり、あるいは病気のせいで貧困になった。午後の日光が建物の間を通して、混んでいる人々の後ろに影を落とした。 今、中学生の私はもうそんなことをする暇がなかった。でもおじいさんに見舞いに行くとき、小学生のことを思い出した。あの時の私は、病院の入り口に、あんなに冷酷に、ほかの 人間の苦しみや悲しみを見て手をこまぬいた 。今、不安な気持ちをもって病院に入った私は、やっとあの時自分の。 おじいさんに会う時の事はもはっきりと覚えられない。覚えてられることは、ほとんどの時間、病院の机の上に高校試験の勉強をした。あの時の私は、まだおじいさんの病気を直面したくなかった。「あんなに大変なことではないよ」って、自分を騙した。 病院から出た 「おじいさんは大丈夫でしょうか?なにがあったの?」って母に聞いた。 「関節炎だ。心配しないでね」と答えられた。 「あ、そう。」

おばあさんの魚

 あの時私は高校一年生だった。六月の時、暑くて真夏の午後だった。昼ご飯を食べながら窓のそてへじっと見ていた。木の下に木漏れ日が見えていて、蝉も鳴っていた。私は汗を拭いて、「そんなに暑いのにどうしてエアコンがついていないのか」と思った。突然に携帯が鳴った。 「おじいさんがおなくなりました。今週の金曜日に実家に帰ろう。」 「あ、そうですか。。。ええ?!」 一体、何があったんですか?電話を切った後も夢のような気がした。おじいさんがなくなったことは、どう考えても本当なことだと思わなかった。空に向かって、青くて遠い空や白い雲が見える。蝉の鳴き声がもっと大きくなってきた。すべて、いつものような、普通な真夏の景色だった。さっき母が言ったことに対して、私は悲しいと言いうより、「真実ではない」ような感じがした。 不思議ですが、私の今まで経った十六年の間、親戚がなくなったことが全然ない。人間はいずれに死ぬことになっている、そのことがよく存じますが、自分にとって大切な人がなくなることはついに起こったのは信じられなかった。

物語のブレインストーム

 皆さん、こんにちは! 冬休みの時、日本の推理小説にどんどん興味になってきました。毎日のように日本の推理小説を読んでいました。大好きだったのは、大山誠一郎の「 皆さん、こんにちは! 冬休みの時、日本の推理小説にどんどん興味になってきました。毎日のように日本の推理小説を読んでいました。大好きだったのは、大山誠一郎の「アリバイ崩し承ります」という小説でした。七つな小さいなストーリーがあって、 時計屋の可愛い女性店主は犯人のアリバイを崩す話でした。どんなに徹底的なアリバイでも、よく考えば崩すことができます。私は長い推理小説をよむのはとても苦手です。長いから、読めば読むほど主人公の数が増えてきて、謎はもっと複雑になるので、最後になぞが解いても理解できません。でも、「 アリバイ崩し承ります」のような短い話は、そんなに複雑でもないし、私が迷う前で終わるから、気に入っている。 でも、中国語でそのような小説を書くのはもう難しいので、日本語で書くのはちょっとむり。そして、物語を作るのは上手じゃないです。主人公の名前さえ考えられない。だからとても悩んでいる。ほかのやってみたいことは、たぶん自分のノートルダム大学の経歴です。半年の後卒業する予定があるから、この四年間の経歴を書くのは、もっとやすいタスクと思います。

私に影響を与える人

小さい頃から現在に至るまで、二十年以上長い年月が経ったその中で、いろいろな人に出会って、私に影響を与えた人が多いが、親以外に記憶に一番深く刻んだのは、小さい頃の友達の一人だ。 彼女は私と違って、故郷の小さい村に生まれて、そのままずっとそこで住んでいた。私が故郷に戻るたびに、彼女はいつも嬉しそうになった。私たちはいつも村の隣の海に行って、広い空や青い海を見つめていた。彼女はいつも自然の美しさを感じられて、そして私に伝えた。彼女の笑顔を見ると、悩んだことがどんどん消えてしまった。その時の楽しみはいまでも覚えている。 でも、私が中学生になったとき、故郷に戻ったが、彼女はもういなかった。父によると、彼女の親が離婚して、お金がないから、彼女もう学校に通っていなかった。私のより年下の彼女は大きい都市にいって、働き始めたそうだ。 それを聞いて驚いた私は、もう一度その笑顔を思い出した。おそらくこの笑顔の中で、私が知らない苦しみがあるだろう。でも、生活の不幸をすべて受け止めて、その上に自然や生活にあらゆる美しさを見つける。彼女はなかなか強い人間だ。 その後彼女に二度と会うことがない。でも、その笑顔がずっと心のどこかに深く刻んでいる。

俳句

私は書いた俳句は「きのしたに、まいちるさくら、まだこんど」です。わたしは桜がずっと大好きです。毎年ノートルダムのさくらが咲いている時必ずみに行きました。桜が満開している時霞のように空を染めて、すごく美しいですが、咲くの時間は短い。春が終わるように、桜も落ちてゆく。 さくらが落ちた景色は、寂しくて悲しい。でも、今年の桜の季節が終わったが、一年を待って、来年も見えるだろう。だから、舞い散る桜に、「こんどまだね!」で約束する。 私は選んだ俳句は、松尾芭蕉の「 曙は まだ紫に ほととぎす 」です。描いた景色は、たぶん太陽が出るちょっと前。とても早い朝で、空はまだ紫ですが、ほととぎすはもうでます。この俳句の季節は春の終わりです。「 まだ春の陽気が残っているものの、ちょうどホトトギスの声が聴かれて夏の到来を感ずることだ 」。流れてゆく季節、春が終わるの懐かしさや、夏がくるのを楽しむ感じは、すべてこの短い俳句に込める。不思議だと思います。

中国が影響を受けた国

私の国は中国です。昔の中国はとても大きなくにだから、他の国の影響を受けたより、外国に文化を輸出する方が多いんです。でも、近代以来の中国は日本、韓国、アメリカとか色々な国から影響を受けた。その中で、最も影響を受けた国はロシアかもしれない。その影響は文化的な影響じゃなくて、政治の影響です。中国の政府が始まった時、どんな政体を採用するかいいのかわからなくて、ロシアと同じな 政体を採用することを決めました。それから長い間で、ロシア政府がやったことは、よくても悪くてもすべて同じなことをしました。ロシアの政府が変わった至るまで止めました。前のロシアの大学を真似をして建てた、すごくみにくい大学は、まだ私の家の隣に立ちています。 将来の中国は、たぶん日本からたくさんのアニメ文化を輸入するようになっていくかもしれない。今日本のアニメが好きな若い者が増えて続けて、日本のアニメの言葉も中国に伝わった。人々の日常の言葉の一部になった。将来は、そんな影響が増えるだけかもしれない。